An
Episode
in The
Recordings
of
"Yuming's
Classics
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ユーミンのレコーディングにまつわるおはなし。
有賀恒夫 英語表記はTony Ariga アメリカ人は、Tsuをうまく発音できない人が多いからです。 |
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私は、このサイトの主催者で、実は『荒井由実時代のユーミン』"Yuming's
Classics" のアルバムを制作したプロデューサーです。当時は、ディレクターというタイトルで、録音制作に直接関わっていたことから、ここで、彼女のレコーディングにまつわるお話をしたいと思います。
ユーミンのアルバムをはじめて作ったのは、ちょうど彼女が19歳のときです。彼女はもともと、作家になりたがっていました。人前で自分が歌うなど、いやだと言っていた時期です。『いまに人前で歌うのが好きになるよ』と私は言っていたものでした。 |
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その頃、彼女は、アルファ・ミュージックという音楽出版者に時々来ていました。彼女の非凡な才能に眼をつけた村井邦彦氏のもとへ、作品を持っていっては、作家としての活路を探っていたのです。まだ、本格的にデビューする少し以前、かまやつひろし氏のプロデュースでシングルを発表していることを、識る人は少ないかも知れません。自分もその一人ですから。『返事はいらない』『空と海の輝きに向けて』東芝EMIからです。 |
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荒井由実時代のユーミン曲
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その後、アルファ・ミュージック出版社の制作部門を独立させた新会社、「アルファ・アンド・アソシエイツM」に入社した自分は、 『ユーミンのデモ』(オーディション・テープ)を作るように社長の村井邦彦氏に依頼されました。それが、私とユーミンとの初めての出合いです。そして、あの歴史的な弾き語りデモ・レコーディングが始まったのです。曲目は忘れもしません。『紙ヒコーキ』『雨の街を』『ひこうき雲』の3曲です。当時の"STUDIO A"は、アメリカのウェストレイク・スタジオをモデルに、アメリカのエンジニアが作った、全く新しいコンセプトのスタジオです。その"STUDIO A"のまん中にスタィンウエィのグランド・ピアノを置き、マイクをたててレコーディングは開始されたのです。弾き語りですから、ピアノも歌も同時に録音します。緊張していたと思います、歌はそれほどうまくなかったですが、(ゴメン、今はうまいよ!、ユーミン)でも、とにかく楽曲の良さ、新鮮な感覚は、私たちの心をしっかり捕らえたのです。『ひこーき雲』の後半で、声を張り上げるところは、のどが壊れそうなくらいの声で心を打ちました。 |
実は、この時の弾き語り『ひこうき雲』デモ録音は、デビュー・アルバムのエンディングに収録されているのです。みなさん、おぼえているでしょ?一度fadeして、もう一度始まる 一番最後の弾き語り演奏ですよ!これは、全体を一つのトータルアルバムとして仕上げたかった自分の考えからです。もとをただせば、カーペンターズの『A Song For You』のエンディングのコピーでしたけれど。違いと言えば、カーペンターズの場合、同じテークをエンディングに持ってきただけですが、我がユーミンの場合、別テーク、それもオリジナル・弾き語りバージョンを持ってきたことです。 |
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余談ですが、カーペンターズといえば、まだ、自分がアルファ・アンド・アソシエイツに入社する前、Los Angelesにいた頃のことです。少し郊外のグリーク・シアターで、彼等のコンサートを見た時の感激は忘れられません。レオン・ラッセルの『A Song For You』のカバーを収録したアルバムをリリースした時です。もう、FMラジオなどでは、たんまりオンエアーしていました。それで、夕方からすっかり夜になる頃、オープンシアターは、しずかな興奮に包まれています。コンサートはいよいよ始まりました。クリアなサウンドとクールな照明、楽曲と演奏の良さ、コーラスの美しさなど、私にとって音楽とパフォーマンスのすべてがそこにあったのです。カレンは、ドラムをたたきながらクールに歌います。レコーディングは、多重録音ですが、ステージではその分のBGコーラスを入れて、レコードそのままのサウンドを出していました。コーラスの隅々まで聴こえます。私は、この頃からコーラスが好きになりまして、後に『ハイファイセット』『サーカス』など、コーラス・グループのプロデュースを多くする切っ掛けとなりました。ユーミンの録音でもコーラスが多いでしょ?ユーミン自身のボイスによる多重録音コーラスのアレンジは、ほとんど私がやりました。その他の、達郎/吉田美奈子/大貫妙子コーラスは、山下達郎さんが、やりました。(今思えば、このBGコーラスと言い、細野晴臣/松任谷正隆/鈴木茂/林立夫のティンパンアレイ・バンドと言い、考えられないほどの豪華メンバーで、やったのですねえ。今やろうとしてもできないと思います。) |
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豆知識: (英語では、バッハなどの古典を、 |
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YUMING'S
CLASSICS
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カバーといえば、自分もその後、『ハイファイセット』『サーカス』などをプロデュースした時、この『タチアナ・ボサノバ・シリーズ』もそうですが、洋楽邦楽を問わず、人の作品をたくさんカバーしました。『オリジナル作品にない別のオリジナリティーを出せてこそ、カバーとしての存在価値がある。』と考えるようになったのも、この頃の想いが切っ掛けになっていると思います。 |
デモ録音を終了してから、社内でみなで聴きました。彼女が作った曲は、彼女が自分で歌うのが一番良いと考え、彼女をアーティストとしてプロデュースして行くことに決めたのです。 |
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Please
Enjoy to Hear
Best Wishes, |
一度ユーミンは、スタジオの隅で泣き出したことがありました。当時からマルチ録音ですから、歌 も3〜4テークとり、それらのテークのうまく歌えた箇所をフレーズごとにつなげて聴きます。 その時、彼女は『そうやってフレーズごとにつなげたのでは、感じがつながらない。』と言うのです。私は、どこでつないだかなど、分からないようにつなぐのが仕事よと言って、譲らなかったのです。そのことが19歳の彼女を傷つけてしまったのです。今は、彼女も私と同じ手法で録音しているに違いありません。でも、当時の彼女は別の考え方をしていたのでしょう。『少しくらいの音程よりも、雰囲気のほうが大切。』という彼女の持論をまげて、私は、『音程だけはきちんとしなければだめ』と頑固をきめたのです。そして、今、CDになっている4枚のアルバムは、すべてこの手法で作り込んでいます。というより、世界中のほとんどのアーティストがこの方法で、録音し、Mixしているはずです。 アルバムは残るものですから、その時々に大切に作りこむと言うのが、制作側に課された使命と考えていました。こうしたアーティストとプロデューサーとの戦いは、考えてみるといつもあったのです。個性と個性のぶつかり合いです。ながい眼で見ればこのことによって、お互いの信頼がこわれることはありません。かえって高まるものです。当時作ったアルバムは、今聴いてもまったく新鮮です。当時、安易な妥協をしなくて良かったと思いますし、ユーミン、松任谷氏もそう思っていると信じています。 |
Written
by Tony Ariga |
Ps:『ひこうき雲』曲は、実は彼女の幼友達の死がテーマです。彼女にとって特別な曲です。「この曲は、デビュー・アルバム『ひこうき雲』以外での収録をしてほしくない」、というのが当時の彼女の希望でした。私が、アルファ・レコードにいた時は、ユーミンのコンピレーション・アルバムを数枚編成しましたが、 『ひこうき雲』曲だけは、どのコンピレーション・アルバムにも入れませんでした。私はその後、当ボサノバ・シリーズはじめ、大好きなユーミンの曲をいろいろな方法でカバーしましたが、『ひこうき雲』だけはカバーしないというのが、私の彼女に対する表敬と約束で、いまでもそれは守っています。 |
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